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地方議員インタビュー Vol.3

つながりが、最強のインフラ。

坂本 雅志

東京都議会議員・1期

つながりが、最強のインフラ。

候補者公募に応募した動機・きっかけは何ですか?

私はこれまで30年以上、民間企業の世界で仕事をしてきました。
日本生命で社会人としての基礎を学び、その後、投資会社や上場企業の経営に携わり、現在はCRM(顧客関係管理)のコンサルティング会社を経営しています。また、青山学院大学大学院では14年にわたり講義を担当しています。

そうした経験の中で強く感じるようになったのが、「良い制度があっても、それを必要としている人に届いていない」という現実でした。
企業では顧客一人ひとりに向き合うCRMの考え方が当たり前になっています。しかし行政の世界では、制度が存在していても、知らない、申し込めない、受け取れないということが少なくありません。
私はこれを「知りそびれ・申し込みそびれ・受け取りそびれ」の“三つのそびれ”と呼び、その解決策として「Citizen Relationship Management(市民関係管理)」という考え方を提唱しています。

そして、自分が長年培ってきた経験や知見を本当に社会実装するためには、政策形成の現場に身を置く必要があるのではないかと考えるようになりました。
そんな時に国民民主党の公募を知り、応募を決意しました。
実は私の祖父は初代函館市長の坂本森一です。私は直接会ったことはありませんが、幼い頃からその話を聞いて育ち、いつかは政治に関わる仕事をしてみたいという思いを心のどこかに持ち続けていました。
そう考えると、今回の挑戦は突然の決断ではなく、民間での経験を積み重ねた先にたどり着いた、一つの必然だったのかもしれません。

いつ頃から、どのような準備を始めましたか?

公認をいただいたのは2025年4月25日でした。
そこから選挙までの期間は決して長くありませんでしたが、5月1日に初めて駅頭に立つことを決め、活動をスタートしました。
駅頭活動を始める前は、まず政策づくりと選挙戦略づくりに取り組みました。
都民の手取りを増やすこと、孤立をなくすこと、そして私自身が長年取り組んできたCRMの考え方をどのように都政に活かしていくのか。そうした政策を整理しながら、チラシやポスター、のぼりなどの広報ツールを準備しました。
私は経営者でもありますので、選挙についてもマーケティングの視点から徹底的に考えました。「誰に何を伝えるのか」「どの地域でどのような活動を行うのか」「どんな言葉なら届くのか」を、自分自身に問い続けながら磨き上げていきました。
また、政策だけでは堅くなり過ぎると思い、オリジナルのテーマソング『走れ、坂本まさし』も制作しました。
選挙カーで流しただけでなく、街頭演説の場で歌うこともありました。最初は少し照れもありましたが、「あの歌の人ですよね」と声を掛けていただくことも増え、政策だけでは生まれないコミュニケーションのきっかけになりました。
活動が始まってからは、世田谷区内にある41駅を順番に回り、毎朝・毎夕の駅頭活動を継続しました。
さらに、その日に出会った方々とのエピソードや感じたことを毎晩ブログに書き続けました。選挙期間中も一日も欠かすことなく発信を続け、活動を見える化することを意識しました。
振り返ると、政策づくり、駅頭活動、ブログ発信の三つが私の選挙活動の土台だったと思います。

党からはどのような支援を受けましたか?

党本部や東京都連からは、選挙実務や広報活動、政策面など多方面で支援をいただきました。
初めての選挙でしたので、選挙の進め方そのものについて学ぶことも多くありましたが、党の皆様に丁寧にサポートしていただきました。
また、国会議員の皆様には応援演説などで力強く支えていただきました。
さらに、地元の区議会議員の皆様にも大変お世話になりました。地域活動の進め方や地元課題について多くの助言をいただき、地域に根差した活動を行う上で大きな支えとなりました。
選挙は候補者一人で戦うものではありません。党や地域の仲間、支援者の皆様の支えがあってこそ乗り越えることができたと感じています。

選挙期間中の1日の流れを教えてください。

朝は7時過ぎから駅頭活動を行っていました。
通勤・通学される方々にご挨拶し、チラシを配り、マイクが使える午前8時からは街頭演説を行います。
その後は選挙カーや徒歩で世田谷区内を移動しながら、各地域で演説やご挨拶を続けました。
移動中もSNSを更新し、その時々の活動や考えを発信していました。

夜8時にマイクを切った後は、陣営スタッフとの反省会と翌日の活動確認です。
帰宅後も一日が終わるわけではありません。
翌日の準備を行い、その日に出会った方々とのエピソードや感じたことをブログにまとめていました。
睡眠時間はかなり短かったと思います。
それでも不思議と疲労感より充実感の方が大きかったことを覚えています。
なぜなら、街頭活動を続ける中で、何十年ぶりに再会する方や昔の同僚、教え子、地域の皆様との出会いが次々と生まれたからです。私はこの経験を「つながりの再接続」と呼んでいます。 選挙は票をお願いする活動でもありますが、それ以上に人と人とのつながりの大切さを再確認する時間でもありました。

活動の中で大変だったことや苦労した点は何ですか?

最も大変だったのは、会社経営と選挙活動の両立でした。
私は会社の経営者でもありますので、選挙期間中であっても会社の経営が止まるわけではありません。重要な意思決定や顧客対応も続いていました。
一方で、政治経験のない新人候補として、多くの方に自分自身を知っていただく必要もありました。
特に世田谷区は人口も有権者数も多く、一人でも多くの方に名前と政策を知っていただくためには、とにかく地道な活動を積み重ねるしかありませんでした。
毎朝の駅頭活動、日中の地域回り、夜の街頭演説、SNS発信、そしてブログ執筆。選挙期間中は文字通り一日中活動していたように思います。
また、私は今回が初めての選挙でしたので、「候補者として何を伝えるべきか」「どうすれば思いが伝わるのか」を常に考え続けていました。
ただ、その苦労以上に、多くの方の声を直接聞けたことが大きな財産になりました。
駅頭や地域活動で伺った声は、現在の議員活動においても私の原点となっています。

地方議員としてどのようなやりがいを感じていますか?

都民の皆様からいただいた声が、実際の政策や行政の改善につながる瞬間に大きなやりがいを感じます。
都議会では、都民の手取り向上、孤立対策、行政DXなどをテーマに質問や提言を行っています。
特に、デジタル技術やAIを活用しながら、「知りそびれ・申し込みそびれ・受け取りそびれ」をなくす仕組みづくりに取り組んでいます。
企業で培った経験を都政に活かせることも大きな喜びです。
私は「つながりが、最強のインフラ」だと考えています。
議員の役割は、行政と住民、制度と生活をつなぐことです。
その橋渡し役として活動できることに大きなやりがいを感じています。

当選後、生活や意識にどのような変化がありましたか?

街の見え方が大きく変わりました。
道路、公園、交通、防災、福祉、教育。これまで当たり前に見ていた景色が、すべて都政とつながって見えるようになりました。
また、多くの方から直接相談や要望をいただくようになり、一つひとつの声の重みをより強く感じるようになりました。
議員になったことで責任は格段に大きくなりましたが、その分、自分が社会に貢献できる可能性も広がったと感じています。
都議会議員は都民と都政をつなぐ最前線に立つ存在です。その責任の重さと使命感を日々感じながら活動しています。

立候補を考えている方へメッセージをお願いします。

政治経験がなくても挑戦する価値は十分にあります。
私自身、54歳での挑戦でした。そして政治家としては全くの新人でした。
それでも、社会を良くしたいという想いと、自分なりの問題意識があれば、政治の世界で活かせる経験は必ずあります。
企業経営者、会社員、医療従事者、教育関係者、自営業者。どんな職業であっても、その現場で培った経験は政治に必要なものです。
私自身も、30年以上にわたり民間企業の世界で働き、経営者として事業を営み、大学院では教壇にも立ってきました。その経験が今の議員活動の土台になっています。
政治は特別な人だけのものではありません。
むしろ、社会の現場を知る人こそ政治に参加する意義があると思います。
私自身、公募への応募から人生が大きく変わりました。そして今、都民の皆様の声を都政に届ける仕事に大きなやりがいを感じています。
もし迷っている方がいるなら、ぜひ一歩踏み出してみてください。
公募は、政治家を目指す人のためだけの制度ではなく、社会を良くしたいと思う人のための制度だと思います。
その挑戦が、新しい政治をつくる力になると信じています。

(2026年6月8日)