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地方議員インタビュー Vol.2

まちの未来を創る側に。

金井隆之

長野県・上田市議会議員・1期

まちの未来を創る側に。

候補者公募に応募した動機・きっかけは何ですか?

全国的に「議員のなり手不足」が深刻な課題として取り上げられる中、私が暮らす上田市では、少しずつですが20代、30代の比較的若い世代が市政に挑戦する姿が見られるようになっていました。同世代が議場で議論を交わす姿をニュースなどで目にするたびに、「自分も外から見ているだけでなく、当事者としてまちの未来を創る側に回るべきではないか」という強い関心を抱くようになったのが最初のきっかけです。

一方で、どの政党で活動すべきかについては慎重に考えていました。そんな折、ニュースやSNSを通じて、掲げた政策を愚直に訴え、着実に支持を広げる国民民主党の躍進を目の当たりにしました。党の公式ホームページやSNSを熱心にチェックするようになっていった中で2025年の春頃に、7月の参院選に向けた候補者募集と、同時に地方議員候補も広く募っている案内を見つけました。「対決より解決」を掲げる党の姿勢は、まさに私が理想とする政治のあり方と合致しており、応募を決意しました。

いつ頃から、どのような準備を始めましたか?

上田市議選告示日(2026年3月22日)の約半年前、長野市に国民民主党の全国キャラバンがやってきました。そこに参加して党幹部や県連メンバーの様子を直接目で見たことで、「いよいよ自分もこの人たちと同じ場に立つんだ」という具体的なイメージが鮮明に湧き上がってきました。その直後、正式に公認内定を頂くことができました。

急ピッチで準備を始めました。準備といっても何から手をつければいいか手探りの状態でしたが、まずは「自分は何を成し遂げたいのか」を言語化し、政治活動ビラを作ることから始めました。並行して、後援会の立ち上げや事務所の選定、そして何より重要な「私を知ってもらうための歩行活動」に着手しました。それまでは一市民として歩いていた地元の景色が、県連の一員という立場に変わるだけで全く違って見えたことを今でも鮮明に覚えています。

党からはどのような支援を受けましたか?

応募した当時の国民民主党長野県連は、所属議員がまだ3名という小規模な組織でした。しかし、その分だけ距離が近く、Zoomを通じてベテラン議員からきめ細やかなアドバイスを頂いたり、政治活動に不可欠なビラやポスターのデザイン構成についても相談に乗っていただきました。その後半年間のうちに所属議員や協力者が次々と増えていき、選挙期間中には県連メンバーはもちろんのこと、市外からも党のボランティアや他県の議員が応援に駆けつけてくれました。さらに、玉木代表が上田市まで足を運び、街頭で共にマイクを握ってくださったことは、私にとっても支持者の皆様にとっても大きな力となりました。

 また竹詰県連代表や内川副代表の力強い働きかけにより、関連企業の組合員の皆さんと対話する機会を頂けたことは、組織的な基盤がなかった私にとって、当選を引き寄せる大きな要因となりました。

選挙期間中の1日の流れを教えてください。

選挙期間中は、街宣車で市内を隈なく巡回することを基本戦略としました。 毎朝8時半に、冷え込みが残る空気の中で自宅前の連絡所を出発します。午前中は、自分の生まれ育った「地盤」となるエリアを細い路地まで丁寧に進みます。知った顔の方々が玄関から出てきて手を振ってくださる姿には、目頭が熱くなりました。 お昼に短時間の休憩を挟んだ後は、一転して人流の多い市街地や大型商業施設の周辺にも向かいます。午後は事前にリサーチしていた「立ち寄りスポット」で1日複数回の街頭演説を挟みました。暗くなってしまう19時前には一旦事務所へ戻るスケジュールでしたが、気力体力の充実している日は制限いっぱいの20時まで街宣車を走らせました。その後辻立ちなどを行う日もありましたが、信州の3月は夜になると一気に氷点下近くまで気温が下がります。無理をして喉を痛めたり、体調を崩しては元も子もないため「今日はここまで」と決めて早く休み、翌朝の活力を蓄えることも寒さの厳しい信州では、選挙戦を戦い抜くコツだと学びました。実感を込めてお伝えしたいのは、選挙期間の7日間以上に、その前の数ヶ月にわたる「政治活動期間」にどれだけ地域を歩き、種をまけたかが勝負を決めるということです。

活動の中で大変だったことや苦労した点は何ですか?

最大の壁は、家族や親戚、そして近所の方々の賛同を得ることでした。 地方選挙、特に私が挑戦した上田市のような地域では、「議員は地域(自治会)の代表である」という考えが根強く残っています。そこへ地盤も看板もない若者が、特定の政党(それも当時はまだ県内で組織が小さかった国民民主党)の公認を掲げて飛び込むわけですから、当初は「なぜ政党の看板を背負うのか」、「無所属で出るのが筋ではないか」といった厳しいお声もたくさん頂きました。

仲間集めも困難の連続でした。最初は自分と家族、近所の方々数人のみ。しかし毎朝地元の交差点で辻立ちをし、ビラを配って回り、政策を訴え続けるうちに一人、また一人と「応援してるよ」と言ってくれる方が現れました。最終的には政党所属という新しさと、地元育ちという安心感の両面を評価して頂けるようになり、伝統的な地域の方々とも深い信頼関係を築くことができました。あの時の孤独感と、それを乗り越えた瞬間の喜びは、私の人生においてかけがえのない財産です。

地方議員としてどのようなやりがいを感じていますか?

このインタビューを受けている時点では、当選からまだ1ヶ月程度。ようやくバッジの重みを実感し始めたばかりで、公務としての経験はまだ浅いのが正直なところです。しかし、市内各地の行事や総会に来賓としてお招きいただく中で、市民の皆様の期待をダイレクトに感じる日々を過ごしています。 選挙中に掲げていた公約以外にも、「ここの通学路の街灯が暗くて危ない」、「地域の集会場にトイレを設置してほしい」、「増え続ける空き家をどうにか活用できないか」といった具体的な生活相談を数多くいただくようになりました。

そうした一つひとつの「まちの声」に対し、役所の担当部署と協議し、解決の道筋を探る。自分の動き一つで、誰かの困りごとが解決に向かい、地域の景色が少しずつ良くなっていく。これこそが国政とはまた違った地域に根ざした議員ならではの醍醐味であり、大きなやりがいだと思っています。

当選後、生活や意識にどのような変化がありましたか?

一言で言えば、市民に注目されているという自覚が生まれ、自身の行動を律するようになりました。議員は市民の付託を受けた公人であり、模範となるべき存在です。日々の生活態度はもちろん、言葉遣いやSNSでの発信に対しても、以前よりも高い倫理観を持つよう心がけています。

また、生活リズムも一変しました。議員のスケジュールは非常に流動的です。急な会議や市民相談、地域行事への出席などが重なるため、分刻みのスケジュール管理が欠かせません。急な予定変更にも対応できるようスケジュール管理を徹底し、確認回数を増やしたり、関係者への共有もクラウドサービスなどを使って工夫する必要が出てきました。

プライベートな時間は減りましたが、市民の皆さんのために動けているという充実感はあります。

立候補を考えている方へメッセージをお願いします。

今現在、身の回りで起きていることや地域の問題を自分ごととして捉えることができている方であれば、もうすでに議員になる素質は十分備わっていると思います。あとは一歩踏み出す勇気だけです。

「自分のような人間にできるだろうか」という不安は、誰にでもあります。まずは応募してみることをきっかけにして、自分の意識や置かれた環境を少しずつ変化させてみてください。そうすれば自然と、地方議員への道は開かれていきます。

皆さんのご応募お待ちしております。一緒に新しい政治を切り拓いていきましょう。

(2026年5月11日)